前回書いたブログに、丁寧にコメントをくださった方がいらっしゃいました。
ありがたいです。

コメントに返信しようとしたのですが、思いの丈が大きく(笑)、コメント制限文字数内では伝えきれないようなので、こちらで、返答させていただきます。

<いただいたコメント>

加速器は原子炉と違って放射能が増殖することはありません.出来る放射能も桁違いに少ない.
そこに油断があったのでしょうね.
しかしJ-PARKの加速器ではビームの強さ(毎秒の粒子の数)がとても大きいので,目に見えるほどの放射能が漏れてしまいました.
あってはならないことですが,半減期も短いものだけです.
物理の研究と「原子力」とを一緒にしないようにお願いします.

詳しくはブログ記事「東海村の加速器実験施設の事故で出た放射性物質の種類」をご覧下さい.
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2013-05-25


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<コメントに対する返答>


ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
専門的な知見でのご意見、勉強になりました。

私は、物理も化学も原子力も、まったくもって素人なので、ブログでの発言が不適切に感じられたとしたら、申し訳ありません。


ただ、私は、物理研究と原子力を混合しているわけではなく、そもそもの研究者としての「在り方」、そして、研究を取り巻く「構造」に光を当てたかっただけです。


確かに、今回、東海村で漏れた放射能は「半減期が短く、微量」だったかもしれません。
だからといって、地元への報告は1日遅れでよいのでしょうか?
そこに、研究者の「自らの研究が、一方で環境や住民の暮らしに負荷をかけうるものである」という視点での、謙虚さと危機意識は本当にあったといえるでしょうか?


また、研究自体は、本当に純粋なものであったとしても、それが政治的・軍事的に利用され、結果的に人や環境を犠牲にしてしまったケースは、これまでにもたくさんありました。

原爆はその最たる例ですし、原発の技術開発と福島の事故との関係も然りです。

私が、今危惧しているのは、ILCもそうなりかねないのではないか?ということです。


このように丁寧にコメントしてくださっているTさんなら、きっとお分かりと思いますが、真の研究者とは、常に俯瞰のまなざしと「研究者以前に自分は人間である」という自覚を忘れない人だと私は思っています。

目先の研究の意義だけでなく、その研究が、長いスパンで、この地球や環境や人々の暮らしにどのような影響を及ぼすのかを見通せる目を持っているか?


十分な説明責任を果たしているか?


私たち人間がやれることには限界があり、それは、自然界がなし得てきた偉業の一握りにもすぎないという謙虚さを持っているか?


私が、今回の東海村加速器実験事故で問いかけたいのは、そこです。


とはいえ、言うは易し、行うは難し・・・ですね。
すみません。

偉そうな発言は、そんな研究者が増えてくれることを心から望み、エールを送るが故だと、ご理解くだされば、幸いです。



アジアの樹