いとしま菜の花プロジェクト

いとしま菜の花プロジェクトの、 活動報告や、今後の予定などをお知らせしていきます。

報告

源ちゃんとゲンパツをテツガクする。~第1部・源一郎さんトーク~

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8月20日に龍国禅寺で開かれた
高橋源一郎×大人の寺子屋 「源ちゃんとゲンパツをテツガクする。」
第1部の源一郎さんトーク。

おがわみほこさんが丁寧にメモを取ってくれました。(みほこさん、ありがとう!)
仁礼博さんの素敵な写真と共に、ご報告します。(ニレイさん、ありがとう!)

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サングラスしてきてる -> まぶしいから。
講演頼まれると、はじまりが3時多いが、3:45に馬走る。講演中に馬のこと言われると動揺する。馬券買ってる。

テレビ西日本でしばらく競馬中継の解説してたことも。-> 九州来ると、競馬関係の人と思われることもあるが違う。いろんな仕事してる。

大学で教えてるし、ラジオDJ、作家、評論家とも言われる。自分でも何だかわからない。今日は何ですかね。。今日は僕でやらせて頂きます。
週4コマ。歩きながら講義。ガラケーだけど、万歩計。1日やると3000歩。
歩きながらでないと、話せない。ADHD。病気です。
でも、ラジオは4時間椅子で大変。ぐらぐらしながら話す。

特技ある。来てる人の平均年齢ぱっと見て、瞬間でわかる。
文学得意でないが、文学で講演すると、68.5才。団塊世代。
文学以外で同じ平均年齢は、憲法。どちらもやばい。
介護業界から講演依頼あった。介護専門家のみよしさんと。言ってみたら40位。介護する人の学会で、介護される人は来れない。

文学と憲法に近いと思ったが、ここ、未来ある。

今月、日本近代文学館主催で、1週間月金15人、500人入る有楽町のとこで40年位やってる。
25年連続で自分やってる。入った時は最年少だったのが、最年長になった。
最年長になってみて、平均年齢あがってるのわかる。

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僕65才。今日着てきたアロハ、豚柄。貰った。作家やはぎとしひこ。
先月、友人と会う時でも麻スーツでチーフ入れて帽子かぶってくる。暑くてもスタイル崩さない。
その彼が神戸の店で作って貰ったが、太って合わないからと貰った。2万5千円。お礼にディナー誘ったらその方が高くついた
(そのアロハ)今日はじめておろした。
やはぎさんと祝島行った。当時映画チーム2つ来てた。2011年秋行った。
彼は都会派ハードボイルド作家、似合わない。5万の皮ぐつ履いてきた。歩くのに。自分はバスケットシューズはいてった。
30分で血豆作っても、歩く。
その年から朝日新聞で論壇時評始めて、現場に行って物書く。

僕のトリセツ。取扱説明書、話す前に言っとく。ずっと立って、思い立ったこと言うので何話すかわからない。危険物なのでご注意を。

今日のタイトル、自分がつけたのでない。テツガクするっていうのが僕はいいなと思った。
哲学するってそもそも何だかわかります?
普通に考えるのと、哲学するのとの違いは?
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今年、「読んじゃいなよ!」本出した。
うちのゼミ生たちに、書いた人呼んで、ディスカッションするという現場を本に。
鷲田清一さんという哲学者、
僕日本で一番の哲学者だと思ってますけど、
鷲田さんを呼んで話をしてもらった。哲学。
読んで哲学。鷲田さんの本、4ヶ月哲学本読み、2泊3日合宿。
鷲田さんに一番いい講演になったとわしださん言う。

哲学って何だ?っていう授業してもらった。
哲学の面白いところは、考えることを考える。
何か僕ら考えるでしょ。例えば、もうそろそろだんなと別れようとか。ゲンパツは良くないとか考える。
哲学はその段階ではまだ用事がない。
その後、だんなと別れようと考える、何でそんなことを考えたのか。考えるのを考えるのが哲学。
もう一個先に行く。
普通考える。その前に考えないってやばいのがある。で、何かについて考える。
子どもの教育について考える。でも哲学はまだそこでは発動してない。
そもそも教育って何か。何か考えた後のまたその後から始まる。何かを1回考えないと哲学は始まらない。
考えたあとにもう一回現場戻ってきて、あれってまともに考えたことになってるのかなと色々考えるのが哲学する。
物理を考える物理学。宇宙の真理考える。そもそも真理ってあるのかと考えると、哲学。次、その次。
哲学の面白いところは終わらない。終わってたらそれ哲学じゃない。
ずっと進行形っていうのが哲学なので。原発を哲学も結論出ない。結論出たら哲学でない。
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今日は話し方、断片的にしようと思う。14年教えてて。最も受けたテキスト、岸政彦の「断片的なものの社会学」
岸さんは社会学の先生、テーマはマイノリティの研究。沖縄の人の聞き取り調査。どういう風に沖縄を出て東京大阪過ごして、またどうやって沖縄戻ってったか、沖縄民衆の深層心理探る。
やり方はインタビュー。それが主の本。ところが、「断片的なものの社会学」はそういう作り方されてなくて、
最初に印象的なエピソード。
ある時、いつものように沖縄の人インタビューしてたら、いつ生まれましたか?どうやってここに?とか。
突然うしろの方で息子が「犬が死んじゃった!」と言う。「え?」って言って駆けつけて、
ずっと長い間飼ってた犬が死んで、一悶着あって、戻ってきてインタビュー。
岸さんが、何でこんなインタビューやってるんだろう。意味なし。

これわかりますよね。
社会調査にとって犬死ぬのなんの関係もない。でも、その一家にとっては、誰だかわかんないやつがやってきて、
マイノリティーの調査とか言ってるけど、犬が死んだ方がはるかに重要な問題ですよね。
その時、自分がやってる社会学の意味ってなんだろう。じゃまじゃん。
これでこの人の調査をして、社会学の中では一つのサンプルになる。
犬のことは出てこないし。
でも一番重要なことは犬が死んだことじゃないか。
社会学って犬が死んだって何の関係もない。
この時社会学意味って何?って考える。のが哲学ですね。

このエピソードは社会学にとって意味ないが、無視する学問って何か?
そのエピソードのみ集めた本。
これが社会学の本より面白い。社会学の本読んでも、「へー」あるが、こっちの方が色んなこと考えさせられる。
断片だから、こういう意味だ、ってなってない。説明付きでないこと。犬が死んだ。
ずーっと引っかかっちゃう。この子にとって、家にとって犬何?この犬、どこから?
実際、生きてる場面で思うこと沢山。どういう家にもあるよね。考えるきっかけになる。
終わって、はいよかったね。より、いい。哲学の本。

社会学がある、でも、社会学は何かって考える社会学の哲学がある。
経済学の哲学ある。商行為とは何か?とか。
全ての学問の裏側には、そのことを考える哲学がある。
考えつき始めたら、終わらないっていうのが哲学。いま僕達は必要じゃないかなと僕は思う様に。
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この7、8年で僕変わった。震災、論壇時評始めた。
実は子育てしてまして、今の子は中1と小6いまして。ぶっちゃけ僕5人子供いる。長女今43歳、10月に44才になる。男の子42才。
3番目16才、13才、11才と男の子4人。夜中書いていて、誰が長男、次男かわからなくなる。
色んなとこで子どもできるとわからなくなる。
Yahoo!知恵袋で調べたら、結婚1回につき長男。なので長男3人いることに。
中1の息子、パソコンばかりで小説読まない。
今、朝日の小学生新聞で小説連載してる。すごいと思ってる。朝日本誌での連載80倍(連載当時800万部)だが、
こっちがお便り多い。「うまれて読んだ中で、一番おもしろい小説です。小1」とか。
僕の妻の友人の娘小3が僕の小説読んで「面白い。今までの上から目線だったけど、この人は上から目線でなくていい。」
 この子は山田詠美好きで、山田詠美のエッセイを「一時期悪かったが、また良くなった」とか言う。すごい。

今の奥さんが体調崩して、最新の長男次男は僕がほとんど子育て。で、この13年ではっきり言っておばさん。男目線がもはやわからない。親しい友だち、あとで気づいたらみな子育てしてる人。見方が変わる。

哲学のもう一つの側面なんですけど、
さっき哲学するってことは、その先考えること。もう一つ現場で考えるってこと。
教育問題について考えるって上を向いて考える。よく評論家はこの辺を向いて考える。
でも現場に行くと足元見て考える。
現場にいると、終わらない。これも一種の哲学。これは鷲田、さんも言ってた。
さっきの根本的に考えるのとは違った意味で、現場に行って、そこにあるものが何なのか、徹底的して見る。★★★
これも物事を考える重要な側面。

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3.11の後色んな現場に行くことになったが、その前に、子育ての現場いた。
1年8ヶ月間おいて生まれたので、赤ちゃん二人、奥さん倒れてる状態で。最初の5年布団で寝てない。
2人ともアトピーひどくて。あったかくなるとかゆくなるでしょ、寝かして寝たなと思ってベット置くと起きちゃう。一晩中泣いたりする。寝ない。段々こいつら殺して一緒に死のうとか思うように。そのあたりは全くもの考えられなかった。
正直言って作家としてのキャリア終わったなと思った。小説書けない。
運が悪いことに同時に大学の先生も始めちゃった。大学忙しでしょ、家事でしょ、連載あるでしょ。
睡眠時間ばらばらで一日中眠い。本能で生きるように。
子ども鼻つまるでしょ、鼻吸うピコピコするやつ、勧進な時ないんだよね。どうするか。口で吸っちゃう。
僕未だに子ども鼻すすってると、パパ吸ってあげようかって言って、逃げちゃう。あれ不思議。子どものは吸えるけど奥さんのは吸えない。謎。
うんちとオシッコの中で生きてたら、段々人格が、男性の人格が崩壊。おばさんになりました。大体でいい。適当。
だってめんどくさい。難しいこと言ってられない。
保育園なかなか見つからず、3才の時、しばらく鎌倉に引っ越し。無認可しばらく預けたら、僕以外母親は風俗嬢だった。

段々知らない矛盾気づく。
アトピーの原因、離乳食の開始年齢早すぎた。完全に腸できる前に与えるから、タンパク質分解できない。
 厚生省に言ったら、そんなことわかってる。急に辞めたら、離乳食会社困る、と。東京新聞だけ報じた。大手は報じなかった。
 それが一年後、そっと遅くなった。
 大きく(報道)ならなかったのは、お母さんしか、知らなかったから。
 僕怒ってるのわかってくれるの、内田樹さんだけだった。

カチンときて親子文句言ったことある。「保育園に預けて働くなんてもってのほか」と言った人。でもその人親に預けてた。

横浜の保育園に預け、駅から走って時間迎えに行った。薄暗い中、子ども待ってるから。

現場に行ってるけど、いつも女の人のことだなと思った。
当事者の女性性をある時期から意識。おじさんの考えてることはわからないってなった時に、
考える場所はどこにでもある。とりわけ、ここに、と思うように。★★

子育て10年位です。実はそれ以外でもこの10年位社会的発言が多くなったが、
今考えてみると、どれも以前考えたこと、実は。今考え直し。自分の身ふりかかってきた問題として考えると違って見える。
20年前真剣に考えたと思ったこと、全然考えてなかった。
40年も経って急に違ってみえる同じ本。それが楽しい。

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寺の話。最近寺で話すこと多くなった。東京、大学は戸塚にある。そこにぜんりょう寺ある。ナマケモノ倶楽部の辻信一は同僚。
その寺でのイベントいい感じ。浄土真宗の寺。
今年はすでに5回浄土真宗の寺で講演。築地本願寺でも。
全然違った方向から寺、近づいてきた。寺なんて法事だけで関係ないのが普通。でも昔はそうじゃなかった。

僕親鸞好き。親鸞は、宗教家、思想家、社会活動家、革命家。
当時、武士でなく金持ちでなかったら知識得るには寺入るしかなかった。上昇志向ある人、みな寺入った。
一向一揆とかゲリラ。社会運動の側面あった。政治も全部いっしょにやってた。
寺は国も入れない自治の場でもあったの忘れてた。
もともと社会に向かって働きかける仏教の人達。

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自分がしてきたこと考えてきたことが、本当に考えてきたのか、反省すること多い。
夏になると事件起きる。
ルソン島で戦死したおじ。フィリピン、どこで死んだかわからない。ちゃんと聞いてない。
親達の戦争の話、聞かないようにしてた。

僕昭和26年生まれ。戦後生まれ。戦前生まれの人は72歳以上。ここに来ておられる方で戦争の記憶持っておられる方はほとんどいないでしょう。僕もない。

うちの母親が、映画「この世界の片隅に」のスズさんと同じ年、一歳違い。
生きてたら71才。
彼らがする戦争の話を聞いてなかったんですね。よく覚えてますが、うっとおしかった。
どんなに苦労したか、どれ程悲惨な目にあったか、話するわけ。
うちは父親のお兄さんがルソン島ってとこで死んでます。
もう一人シベリアの収容所で亡くなっています。
親戚、満州で亡くなった人もいます。結構たくさん。
母親の方は広島が実家。母親、原爆直撃をギリギリでまぬがれた人なんです。
で、一生懸命話してくれたのに、聞いてなかった。
人に話を聞けって言えないのは、僕が聞いてなかった。大変でしたね、はいはいって。
昭和26年生まれの世代でもこれですから。
なんか、聞きたくないのね、何か抵抗するものがあった。それ自身は大事にしたいと思うが、
困ったのは、いざ、みんな死んじゃったあとで、調べられなくなった。
臨済宗の寺行ったが、おじさんどこで死んだか不明。万策つきはてて、
靖国神社に問い合わせた。待っている間、ご参拝をと言われ、朝日新聞記者とお参りして待った。
靖国神社のデータベースにあった。「山形県高橋むねすけ」これだけで調べられた。うちのデータベースすごいと言ってた。靖国恐るべし。
それでわかったのが、フィリピン、ルソン島のリンカヤンマのすぐ近く、アメリカ軍の上陸したすぐ近くに5月に、となっていた。
でも後から見つけた父のノートには、パレテ峠9月と書いてあった。
おそらく父のは厚生労働省から来たと思う。おばあちゃん恩給もらってたから。
すると2つ死に場所がある。違う時間。これどういことか、行ってみた。行ったらわかりました。
1945年、アメリカ軍はフィリピンに5月上陸。日本軍は負けながらずっと北に上がっていく、9月にパレテ峠ってとこで大きな戦い。
そのまま戦争は継続して、終わった後も。降伏するのが10月位ですかね。確か。
8月に戦争終わってるのに、ずっと戦ってた。8月15日以降の死者多い。ひどい話。
調べたら、何でわからないかというと、フィリピン戦は、日本軍投入62万中、50万人死亡。80%死亡。
(鎌仲監督のキャプション:アメリカはフィリピン戦線に125万人の兵力を投入 戦死者約1万6千人)
だから部隊ごと消滅してる。みんな。だから記録ない。普通誰か記録残すが、小隊ごと死んだりして、ない。
つまり、2つの記録っていうのは、アメリカ軍が上陸してから、壊滅までの、どこかってこと。最初と最後。ひどい話でしょ。

で、行ってきた。僕思ったのは、
このおじさんのこと、60年前から知ってた。フィリピンで戦死したこと、でも興味なかった。自分60過ぎるまで。
普段戦争のこと良くないって書いてるし。でも、身近にいる戦死者のこと調べてみようという気が一度もなかった。
なんでだろう。どっかでめんどくさいみたいくない。親の世代に関わりたくない。って思いがあって、
全員死んでから。で、調べるの大変。

行ってみるもんですね。フィリピン、ルソン島。日本みたいだった。行ったの5月なんかだったが、東北みたい。
当時、日本の山の名前つけてた。きっとみんな日本って感じだったと思う。その中でみんな死んでったんだね。
ルソン島の慰霊塔、日本向いてる。
案内してくれたおばさん、20年連続で来てる90代の人何組もあるという。
僕も戦友食べたんで、という人いっぱいいる。もう死ぬから言うけど、と。
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僕も戦争には反対しますが、その理由は難しい。
あらゆる戦争は悲惨だからとか。それも正しい。
でもなんか嘘くさい。違和感。そう言うとなんか若干嘘くさい感じ。
困るのは、自分の中にある嘘くさい感じ。
違和感ってのは一番大事じゃないかなと思ってる。
僕の大好きな思想家で、知人の吉本隆明さんの書いた文章で、一番好きな文章。彼は戦争中は愛国の人で特攻して死ぬんだと思ってた。それが終戦なってショック受けた。その前に愛国青年だった頃の話書いてる。
自分は国を愛するんだけどもこれで死ぬんだと、国のために死ねれば本望だと思ってたと。
ところがある時、村か何かで誰か出征送り出す会に出るか、と言われ、なんか嫌だなと思ったと。
自分自身はこの戦争のために死のう。全然疑いを持ってなかったけど、
じゃあみんなで励ましてさあ行こうっていう奴には違和感があって。
自分では理屈では戦争100%賛成してたし、自分も死ぬと思ってたのに、じゃあみんなで「おめでとう」って行くっていうのは、
嫌だなと思ったと。
その違和感はずっとつきまとって、
自分が何かを考える時、違和感があったら、立ち止まることにしてる。

何か変だなと思ったら、立ち止まった方がいい。
自分の感覚、拠り所。

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哲学っていうのは、その先を考える。現場で考える。違和感があったら考える。
この場合、アンテナになってるのは自分の感覚ですよね。なんか変だなって思ったら、疑った方がいい。
それはとても大事なことだと思う。僕も親の話聞いてなかった。
その時、何か変だなって思ってた。なんでこんな嫌がってるんだろう。
でも考えるのめんどくさいんで、考えたのは50年後。
50年経って、そのもやもやを晴らすためにフィリピンまで行って、やっとわかったことがいくつかある。
おじさんに興味なかった。
僕が生まれる前に死んでますからね。
おじさんに、僕よく似てたって話だった。
僕生まれた時に、おじさんの生まれかわりと言われた。
それも嫌で。生まれ変わりじゃないよって、知らねえよそんなのって。
おじさん結構文学青年だった。おじさんの死んだあたりまで行った。
フィリピン戦は、特にほとんど餓死。戦闘で死んだ人は3分の1以下。
餓死、病死、特にフィリピン戦は餓死。
最後は逃げながら全員餓死。
友達の肉食った人だけが生きのびた
一緒に行ってた看護師の死体とかごろごろ転がってた。道端ずっと。
そういう中で、何考えてたんだろうなと思う。もちろんわかんないですけど。
初めて他人じゃない。僕と同じ様な遺伝子持って、あのおばあちゃんがお母さんで、うちのお父さんが弟か。
おじさん、中尉だった。どこで死んだかわかんないですけど、
僕の想像ではどっか木の下で疲れてそのまんま、木の下で眠ってしんじゃったという想像してあげてるんですけど、
やっぱり、そのおじさんが、戦争行く前、バカバカしいと言ってたそうです。ばかみたいだって。
っていうことが自分の中で腑に落ちた。そういうおじさんいたんだ。そこまで半世紀。
それは興味を持てと言われても、持てないですよね。自分が何かに興味を持つまでにものすごく時間かかると思うんです。

おばあちゃん日記つけてた。仙台で、山本五十六とフィアンセだったがふった。
うち軍人の家。甘糟憲兵は大叔父。かっこよくてアイドルだったとおばさん達言ってた。

そういうものから、個人になろうとした。ポストモダンに走った。
年とったら、やり残してきたことあると気づいた。
母が生前、僕に遺書送ってきた。18年前、母69才の時。
自伝小説、原稿用紙230枚。それを18年放置し、2ヶ月前あけた。
「この世界の片隅に」がなかったら、開けなかった。うちの母と、スズさん、そっくりだった。
母は呉の軍港に働き行ってた。8月6日朝、広島行き電車、広島着8時何分という電車、乗ろうとしたら、2人前で切符売り切れ乗らなかった。
ところが、日記見たら日記には、広島の陸軍補給廠と書いてあった。
ホームシックで尾道帰ってて、広島帰ろうとしたら、1枚前で切符売り切れ待ってたら、
次に入ってきた電車止まって、新型爆弾で広島がやられたと。

片渕監督すごいと思った。1944、45年の呉再現した。おかげで僕の様な親不孝者が過去思い出した。
僕の中で、どうしてほっておいたのか。日記は姑の悪口ばかり。

この時期、どっか時期がある。それは読まなきゃ、じゃなく。

テツガクするとは、根本的に考える、現場で考える、違和感、もう一個時期が来て考える。★★★
これは自然に。
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僕年とってよかった。それぞれ違う考える。ですけれども、僕らが普段考えるっていう時の考えうとは違う。何か。
非常にそれぞれ違ったものが考えられるし、考えるてると嬉しい。
普通考えてても嬉しくないでしょ。
このこと考えてるとうっとりしてる。
これいいわあって。僕がこれを考えてるのが嬉しいっていう。
考えてる自分を横から見てる。でもね、これは何かっていうと実は
文学ってこの4つ入ってる。
小説って物語が楽しいとかじゃなくて、
考えるのが楽しいんです実は。
何かを読んで、小説読んでても面白いですけど、読んでて、ふっとああそういえばこんなことあったねと、
それと関係ないこと考えるのが醍醐味。

よしだけんいち。吉田茂の息子で英文学者、の本昨日読んだ。
彼の文学の定義、「人間と人間のことについて考えさせてくれるものあればそれは文学」

考えてるっていうのは、人間のことを考える。それは抽象的な人間であるより、具体的な。
うち母親っていうのをね、理解するのに66年。
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自分の中で、この10年驚いた3つのことの内、1つはニセ記憶。
あなたの好きな写真何かと言われ、父と母こっち向いて笑ってる、向こう側に花の写真。
この写真のこと5回書いた。弟から電話あり、そんな写真ないよと言われ、アルバム見たら、ない。
でも鮮明に覚えてる。父は麻ズボンに白いYシャツ。母割烹着。で、向こうに花。
思い出すと、写真の視線、上を見てる。写真でなく、記憶だった。
仲悪い夫婦だったのに、珍しく機嫌よくしてた日の姿、記憶してたのかも。
父親は生きてれば96才。20年前、76歳で亡くなった。
父は色々問題あったので、家族から嫌われて病院でさびしく一人で死んだ。かわいそうなことしました。今となっては。
でも正直、父親亡くなってうちの家族誰も悲しまなかった。お葬式やった。元社長だったりした。
遺族に、母親出席しないから、僕と当時の奥さんと、弟と弟の奥さんと4人。
そしたら開始時刻になってもゼロ。15分位して東北から3人位。すごい見事な終わり方だよねって話をした。
亡くなって10年経った。
子どもに歯を磨かせてた。
父親のことすっかり忘れてた。嫌いだったから。
で目の前に鏡あるの、ぱっと見たら、父親がいた。父親が本当に化けて出たと思った。「ごめん」って。でよく見たら自分だった。鏡だから。
それまで10年間一度も父親のこと考えたことなかった。無視してた。
毎日じゃないけど、2日に1回鏡見てるのに気づかかないんだ、あれね。ある日突然気がついたら父親と同じ顔になってて。
そしたら、歯磨かせてるでしょ。これが父親ならここにいる長男は誰?ったら僕。わかりますよね?
関係で言うと。そしたら、いきなり泣いたんですよ。
父親に歯磨かしてもらったことある。かわいがってたんだよねきっと。っていうのに気づくのに死んで10年。
そん時から父親のこと考える様になった。
だから母親が死んで十数年。
仏教では縁って言葉使いますが、奇縁とか。
やっぱり自分の中で何かが育たないと、考えるってことがこない。
それまで無理に考えてもしょうがないですね。
来る時は来るね。で、その時初めて父親のこと真剣に考えたら、
結構かわいそうな人だった。彼は芸術家だったんですけど、上のお兄さん2人が戦死したんで、会社を継ぐことになっちゃった。
本当は絵かきなる予定だった。慣れない会社の社長やって、悲惨なことになったんですね。
そういう意味では非常に不幸な。すごい芸術肌の人だった。っていうことにやっと気がついた。
気質とかよく似てんです僕と。ギャンブルするし、女性関係問題あるし。よく似てるわ。顔も似てるしね。
きっと考えてることも同じだよね。思ったら、号泣です。
これも、時期がきて、考える。

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あの、ゲンパツの話しませんが、してもいんですけど、これはさっき言った
ゲンパツのことを考える。そして更にその先を考える。っていうことがある。
自分がゲンパツに関わりあるようなことやっている。
まわりにそういう人がいる。知っている。現場に行く。
で、考える。っていうのがある。
で、違和感。ゲンパツのこと色んな人が、色んなこと言う。これも正しい、これも正しい。でもなんか微妙に違うな。って思ってその理由を考える。
あと、何か今じゃないんだよね。今どう思う?って言われて、もちょっと待って。考える時がくるから。って言って考える。
っていうことでいいと思う。僕の考えもあるんですけど、人の考え聞くより、自分の考えを、つくる、と。
で、そのためには、考えるってことは単純じゃなくて、
さっき4つ程上げました。他にもあると思います。
人間は考える葦とパスカルも言いました。
ほんとですよ。考えなきゃ意味がないっていうか、人間じゃない。
ただしその考えるのは非常にやっかい。で、かつ面白い。

最初24才で死ぬはずだったが、長生きして困ってる。
おとろえてくのも楽しみ。考える材料いくらでもある。

何かについて考えるってなった時に、その考えるが、1個じゃなくて、4個以上ある。
さっき4つ上げましたけども、実はもっと沢山ある。
そういうことができる、きっかけになる、今日がそんな場所になればいいと思う。

今日はありがとうございました。

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SUNSET LIVE 2017 ♪♪♪

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今年もキッズ・ファミリーゾーンに出店させていただきました!

25周年を迎える今年のSunset Live。
お天気に恵まれ、お客様も実に多く、本当に充実した2Daysでした♪

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いとしま菜の花プロジェクトのブースにも、たくさんの方にご来場いただき、
なんと、2日間でのべ300名近い方にペイントしたことに!

特に、今年は子どものお客さんが多く、描きあがった顔を鏡で確認した時のパァ~っと明るくなる表情はたまりません。。。



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描く方も、描かれる方も、共にHappyなこのペイント。
この売り上げは、来年の夏のぶんぶん∞リトリートに活かされ、福島の親子のHappyへとつながります。
まさに、LOVE&UNITY!

そして、たぶん、日常では出会わなかっただろう人達と、こんなに近い距離で会話ができるフェイスペイントって、なんて素晴らしいコミュニケーションツールなんだろう。。。と、つくづく思う。
ありがたいね。

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こうして、毎年お声をかけて下るサンセットライブ実行委員会の皆さん、今年もホスピタリティ度100%でライブを盛り上げてくれているスタッフの皆さん、そして、ご来場いただいた皆さん、どうもありがとうございました~


また、来年、お会いできるといいな…。

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ぶんぶん∞リトリート2016 無事終了!

7月27日。
5名の母と10名の子どもたちが、福島からやってきました。

その後、6泊7日のリトリート。
笑い声とキラキラした思い出がたくさんつまった日々でした。
(その報告は https://www.facebook.com/bunbun.itoshima/ へ・・・)


8月2日に糸島を離れ、
その後、全員が、無事に福島へ着いたとの連絡がありました。
病気や大きなトラブルもなく、無事にリトリートを終えることができた安堵感と、どことなくぽっかりと穴が開いたようなさみしさとが入り混じりつつ、リトリートの余韻をそこここに感じています。

参加者の母子は、4組がリピーターという事もあり、ある程度の関係性が出来上がったうえでスタートできたことは、思った以上により良い効果を生み出していたとも感じます。
初めての参加の1家族も、気づけばすっかりなじんでいて、まるで、全体が一つの大家族のような一体感と懐かしさを感じました。

中でも、子どもたちの変化には本当にびっくり!
昨年は、一日一人のペースで体調を崩していたのが、今年は、一人も体調を崩すことなく、毎日毎日、飽きもせずに海!海!海!と駆け回っていました。
また、昨年、なかなか母から離れなかった小さな子たち(次男や次女たち)も、今年は、進んで子どもたちの輪の中に入り、2日目の海遊びや最終日の周遊旅行などは、母たちと別行動で子どもたちだけで過ごすほどでした。
きっと、それは、周りの子どもたちのと関係性、そして、周囲のリトリートスタッフや糸島という土地への愛着など、互いの中に確かな信頼が育まれてきた証なのでしょう。
そのことを、本当に本当にうれしく感じます。

それから、母たちの主体性にも大きな変化を感じました。
プログラムや日々の暮らしの中で、自分たちから積極的にかかわっていく姿が随所に見られました。
また、福島の母たち同士は、あれからも時折連絡を取り合っていたこともあり、すっかりママ友感が増していて、お風呂のときや外出のときなど、私たちスタッフではなく、互いに「これお願いね!」と気軽に頼みあえる関係が生まれていたことをとても頼もしく感じました。
援助する人対援助される人という一方通行の関係性から、一歩先へと進化した今年のリトリートだったと思います。

やはり、保養は必要。
それは、福島の親子のためでもあるし、私たちのためでもある。
子どもたちに「好きなだけ遊んでいいよ」と手放しで言える環境を奪っていることの罪深さは、福島の母だけが背負うことではないはずです。
とはいえ、私たちが背負えることなんて、ほんのほんの一部に過ぎないけれど、
「大自然=無条件に受け入れてくれる存在」が確かにここにあることを体感できる機会は、何が何でも作り続けていかなくては・・・と改めて思っています。


また来年!
きっと会いましょう。


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セヴァン・スズキ Be the Change! ツアー にて・・・

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5月14日(土)
セヴァン・スズキのBe the Change!ツアーにて、
ぶんぶん∞リトリートのブース展示&ステージ報告をさせていただきました。

いろんな方がブースに立ち寄って下さったのですが、
中に、熊本からいらっしゃった方がいて、
「いつ支援される側になってもおかしくないのだと、今更ながらに分かりました」と話してくださった言葉が、とても印象的でした・・・。

ステージでの報告では、昨年の活動の様子と、そこから見えてきたものを私なりの言葉で伝えさせていただきました。
その後に「とても共感しました」とわざわざ声を掛けてくださる方もたくさんいて、本当にありがたい。。。

このような機会は、単に活動を紹介&アピールするだけではなく、
私たちが、何のためにこの保養キャンプをやるのか・・・という原点に立ち返らせてくれます。
ついつい、目の前のことで精いっぱいになりがちですが、この小さくとも確かな活動は、3.11以降に芽生えている新たな社会の息吹に繋がっているのだと感じます。

カンパにもご協力いただきました~♪
感謝!

Sunset Live 2015 ♪♪♪

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今年もSunset Live、盛り上がりました~

私たちの菜の花ブースも大盛況で、文字通り、老若男女、たくさんの方にご来場いただきました。
特に、最終日は、休憩する暇もないほどたくさんの方に来ていただき、
フェイス&ボディペイントをしながら、いろんな会話に花が咲きましたよ。
 
毎年、必ずブースによってくれる熊本からの常連さん。
「きょねんもかいたよ」と覚えてくれていた女の子。
広島から車で「初サンセット~♪」と喜んでいたカップル。初々しくって、ほんと可愛かったなぁ~。
サンセットが同窓会…という仲良しグループ。
明日から仕事だけれど、このペイントは消したくない、患者さんに見せるんだ!と看護師さん。


あんなに大勢に見えるお客さんですが、一人一人にいろんなドラマがあるものです。


2015090413320000そして、今年は、テント内に「9」をテーマにした亀山ののこちゃんの写真と、
糸島で今年の夏から始まった「ぶんぶん∞リトリート」の写真(by山本かおり)も展示しました。

「実は、私の実家、福島なんです…」
「親戚がいるのよ」
と話しかけてくれたお客さんが数名いました。
ここでしか出会わなかった人。会話。
声に出してくれて、うれしかった。 
 


また、小さな子どもを抱えたお母さんは「ここは、子連れでも楽しめるスペースがあって、本当にうれしい♪」と話されていました。
「子どもがいるから来れない」のではなく「子どもも楽しめるから行こう♪」と思えるサンセットライブは、本当に素敵だなぁ~と、改めて思いました。

・・・ってことで、今年も100%楽しみました♪
こんな素敵な舞台を作ってくれた、サンセットライブSTAFFの皆さん(ほんと彼らの動きは素晴らしい!)
菜の花ブースを盛り上げてくれたスタッフのみんな(ほんと、お疲れさま~◎)
お客さんで来てくれた皆さん

どうもありがとう~

P.S.:Suset LIveでの売り上げは、「ぶんぶん∞リトリート」の資金にします
2015082715160000

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